将来もしアメリカを訪れる機会があるならば、是非とも「アメリカの国立公園」を訪問してみてもらいたい。そこにはアメリカの魅力がいくつも凝縮された「ザ・アメリカ」が待っているはずだ。

アメリカ西部ラスベガス近郊には「グランドサークル」と呼ばれる国立公園一大密集エリアが存在している。「グランドキャニオン国立公園」「モニュメントバレー」等の名前なら誰でも一度は耳にした事はあるだろう。もともとこの辺りにはアメリカ大陸を南北に縦断している「ロッキー山脈」があり、その周辺には「特異な地形」「壮大過ぎるほどの景色」が広がっていた。加えてアメリカの建国は1776年と他国と比べて相当浅い。さらにはその過酷過ぎる程の自然環境下では思ったように開発も進まず、その結果現代においても手付かずのままの大自然がそこら中に残っているのだ。

とは言えアメリカ国立公園の歴史は古い。モンタナ・ワイオミング・アイダホ各州にまたがるイエローストーンが連邦議会の指定を受け世界初の国立公園となったのは1872年、今から実に130年も前の話である。アメリカ建国の歴史を考えてみてもこれは相当古いと言えるのではないだろうか。我が国日本は有史以来数千年の歴史を持ちながらも「瀬戸内」「

国立公園の父 ジョン・ミューア
雲仙」「霧島」の3国立公園が日本初の国立公園として制定されたのは1934年の事であり、アメリカからは60数年も遅れている事になる。このアメリカ国立公園の黎明期に奔走し、現代の国立公園システムの基盤を作った男がいる。ジョン・ミューアという人物である。既にご存知の方も多いだろう。

探検家で作家、環境保護の運動家であったミューアはまた、森林と森林保護の専門家でもあった。彼は放牧により荒廃した山間部草原地帯の危機を訴えて、アメリカ議会に働きかけ、その結果1890年には「ヨセミテ国立公園」が制定された。また「セコイア」「レーニア山」「ペトリファイド・フォレスト」「グランドキャニオン」等の国立公園の制定にも参加している。1892年にはヨセミテ国立公園を保護する目的から「シエラクラブ」を設立し、1903年時のルーズベルト大統領と共にアメリカの自然保護政策の原型となる草案を作り出している。これが言うまでも無く現代国立公園の礎である。その為アメリカではミューアは「国立公園の父」と呼ばれ、今もなお多くの人々から尊敬を集めているのだ。

彼の意思は1世紀を超えた今でもしっかりと受け継がれていて、現行のアメリカ国立公園システムは1旅行者の目から見ても本当に素晴らしいものになっている。現在世界の国立公園は2つのタイプに分類される。1つは土地所有に関係なく法的に公園地域を設定し、その土地上でおこなわれる行為を規制するタイプの国立公園で、「地域制の公園」といわれている。日本は完全にこちらのタイプである。もう一つは公園地域の大部分を国有地が占め、国が完璧(かんぺき)な管理および統制をおこなう国立公園で、「造営物の公園」とよばれる。「自然」を完全な「自然」のまま後世へと残していく為の理想的なシステムと言える。アメリカは完全にこちらのタイプである。


人間が野生動物に餌をあげてしまうと
その動物は野生をなくしてしまうのです
このタイプの国立公園は、管理のレベルが非常に厳しくそして高いレベルで完成されている。「自然」をあくまでも「自然」のままで後世に引き継いでいくのだから当たり前と言えば当たり前なのだが。アメリカの国立公園でよく目にした看板がある。「残していいのは足跡だけ、とっていいのは写真だけ」という言葉である。自分達が公園を訪問した記念にと「岩」や「石」を持ち帰る行為、「花」や「枝」を持ち帰る行為は厳しく禁じられている。公園訪問時に偶然にも遭遇した野生動物に餌をあげる行為も「生態系の破壊」になると厳しく禁じられており、時には罰金刑に処される場合もあるという。全ては環境破壊そして生態系の破壊に繋がる行為であり、「自然」を「自然」のままではなくしてしまっているからだ。「自然のスペシャリスト」として園内を管理している「パークレンジャー」はなんと園内の「警察権」までも持っており、園内の「自然」が「自然」のままである様に厳しく管理を行っているのだ。

「自然」を「自然」のまま残してある国立公園は本当に素晴らしくそして何よりもその風景は美しい。その公園内の壮大な景観もさることながら、園内あちこちで見かける野性の動物達、そこでしか見ることの出来ない植物。決して造られた自然なんかではなく、それがそこにあるがままの自然の姿なのだ。どこかの国の国立公園の様に、そこかしこにお土産屋が乱立する様な状況にはどう転んでもなるはずがないのだ。その様な状況はアメリカ国民が決して許さないだろう。アメリカ政府はすべての国民に対し、この豊かな自然と接する喜びを感じる事ができる様にと現在もその運営を行っている。

将来もしアメリカを訪れる機会があるならば、是非とも「アメリカの国立公園のキャンプ場」を訪問してもらいたい。そこにはアメリカの魅力がいくつも凝縮された「ザ・アメリカ」が待っているはずだ。

アメリカ国立公園においてキャンプ場の位置づけは非常に重要である。「全ての国民が平等に公園内に滞在し、より深く自然を感じる事ができる」様にと、アメリカ政府はキャンプ場の利用料金をとても低く設定している。素晴らしいではないか。その為人気の国立公園は週末ともなれば多くの家族連れで賑わう。キャンプ場自体は国立公園内にある為、あまり自然を壊さないようにと、必要最低限の設備しか揃っていない事が多い。シャワーすらないところもあるぐらいだ。自然をより深く感じる事が目的なのだからそんなものは必要ないという事か。森の中、砂漠の中、山の中、キャンプ場のシチュエーションは様々な変化に富み、全ての滞在者を楽しませてくれる。


アメリカ人に大人気
ヨセミテ国立公園のキャンプ場
日中は日中で国立園内のいろんな見所を見て回る。夕暮れ時には、大自然の中でキャンプファイヤーでも囲みながら、自分達で料理したご飯をほおばる。そしてビールを飲む。夜の帳が降りる頃、頭上には降り注がんばかりに無数の星が広がり、流れ星に願いを込める。寝袋に入れば、今度は虫の鳴き声が耳に優しい。テントの周りに夜行性の野生動物が現れる事もしばしばあるという。最高じゃないか。個人的には温泉地のすぐ近くにある日本のキャンプ場も素晴らしいと思っているのだが、アメリカのキャンプ場には日本にないモノがもうひとつだけある。そう、それはそこにいる「アメリカ人キャンパー達」である。

アメリカの国民性はとにかく明るく、陽気の一言に尽きる。知り合いであろうがなかろうが、目が合うと必ず陽気に笑って挨拶を交わす。そうするとこっちも乗せられて挨拶を交わす。一瞬の内にそこにあったはずの見えない壁は無くなり、なんだかお互い友達になったような気分で自然と話は弾んでいく。あるアメリカ人がこんな事を話していた。「日本人は非常に礼儀正しいね。あとドイツ人もとても礼儀正しいけど、彼らはビールを飲むとクレイジーになるんだ。アメリカ人かい?アメリカ人は飲んでも飲んで無くてもいつもクレイジーなのさ。」彼はその事をとても誇らしげに話していたのが凄く印象的だった。そう、アメリカ人はクレイジーなのだ。これは言い得て妙である。何もアメリカ人の事をクレイジー(=狂人)と言っているのではない。とにかくバカ騒ぎをする事が何よりも好きなのだ。

このアメリカ人の性質はキャンプ場においても普段となんら変わらずに発揮される。外国人旅行者がキャンプ場にでも泊まっていようものなら、我先にと飛んできてまず質問攻めにする。その後お菓子をくれたり、ご飯に誘ってくれたりといろいろとおせっかいを焼いてくれたりもするのだ。キャンプ場で出会う人々は本当に優しい。世界的に見ると日本人も相当優しい部類に入るとは思うのだが、アメリカ人の「ソレ」はまた種類の違う優しさである。優しさが何というか「積極的」なのだ。積極的にまわりに関わっていき、自分で無意識のうちに「優しさ」を振りまいているのだ。これは恐らく彼等が常日頃から信仰している教えとは全く無関係ではないだろう。何事においても常に「積極的」なアメリカ人が、「謙譲が美徳」の文化を持つ日本人の事を理解できないというのも、なるほど良く分かるような気がする。とにかくキャンプ場で会うアメリカ人達は無条件で本当に優しいのだ。彼等が「アメリカ国立公園」を訪れた旅行者の心象を良くしていると言っても、決して言いすぎではないだろう。

アメリカは魅力的な文化の宝庫である。「ハリウッド」も良い。「大リーグ」も良い。「ジャズ」も良い。何よりもリアルな「アメリカ」を感じようと思うならば、是非とも1度「アメリカの国立公園」を訪問してもらいたい。
「壮大な景観を誇る大自然」
「低料金で利用できるキャンプ場」
「積極的に優しいアメリカ人たち」
これら全てが旅人達の心を癒し、きっと自分の肌で「ザ・アメリカ」を感じる事ができるはずだ。そして「コレ」こそがミューアの理想とするところの国立公園の姿なのかもしれない。